Ningyocho Area

人形町イメージ

多彩な顔を持つ人形町界隈
町によって様々な歴史が垣間見られるエリア

このエリアの町々はそれぞれの顔を持っています。中村座・市村座のあった庶民の町「人形町」には多くの人形師が住み、重要な街道筋であった「馬喰町・横山町」付近には問屋が発展しました。「浜町・久松町」といえば粋なお姐さんが行き交った町、明治座のある町として知られていますが、この界隈は武家屋敷が多いところでした。荷物を馬の背に積んで運ぶ伝馬役を務める人たちが多く住んでいた「小伝馬町・大伝馬町」。「東日本橋」は両国橋・柳橋などの一帯にあった薬研堀町・村松町・矢ノ倉町・橘町などの町名を統合した町で、地元の人は今でも古い町名で呼び合っています。「小舟町・堀留町・富沢町」一帯は、商人たちが物資を運ぶ堀留川で富をなし、昔は海辺であった「蛎殻町」は大名屋敷と旗本屋敷が建ち並ぶ地域でした。「小網町」には200年以上も続くお店が今も営業していますし、かつて大川の花火で賑わいをみせた「中洲」や武家地であった「箱崎町」は、商工業の町として発展し明治15年(1882)に開業された日本金融機関の総元締め「日本銀行創業の地」として知られています。

  • 日本橋小伝馬町

    慶長11年(1606)に、江戸城郭内の伝馬役所がこの地に置かれたことに由来します。奥州街道に沿って家康入国以前から往来のあった地です。十思公園には江戸市民に時刻を知らせた石町の鐘が保存されています。

  • 日本橋大伝馬町

    小伝馬町と同じで、慶長11年(1606)に江戸城郭外へ移された伝馬役所のうち、江戸の市内から郊外の宿場をつなぐ伝馬役所がこの地に置かれ、大伝馬町となりました。旧2丁目は昔、通旅籠町といい、日光東照宮の祭礼に派遣された勅使はここを宿泊の場としたそうです。

  • 日本橋小舟町

    慶長8年(1603)の町割りのときは、下舟町と呼ばれていましたが、享保5年(1720)に西側の大船町に対して小舟町と改められました。かつて西堀留川がここを通り、両岸には河岸が並び江戸湊の一端として荷揚げ活動が盛んに行われ多くの問屋が軒を並べていました。

  • 日本橋堀留町

    文字どおり掘割がここでとまっていたことからうまれた町名です。堀留町はほぼ住居表示以前のままの形で、古くから日本橋地区の商店街、問屋街をなしていました。富くじで有名だった椙森神社もこの地区にあります。

  • 日本橋富沢町

    慶長年間頃に、江戸の盗賊の取り締まりを命じられた鳶沢甚内に支給された土地で、初めは鳶沢町といいましたが、後に富沢町に改められました。

  • 日本橋人形町

    この町は操り芝居や浄瑠璃芝居小屋があって市村・中村両座が繁栄し、多くの人形師が住み、人形を作って売る店が並んでいたので、俗称で人形町と呼ばれていたものが、震災後の区画整理によって正式名称になりました。

  • 日本橋蛎殻町

    昔は牡蠣の殻の堆積した海浜であったらしく、町名の由来は、家の屋根に牡蠣の殻を使っており、その殻を扱う職人が住んでいたことによるといわれます。明治に入ると米穀取引所が設けられ、醤油や砂糖問屋、瀬戸物問屋の多い町として知られています。30軒近くの陶磁器専門店が催す「せともの市」は今や恒例の年中行事になっています。

  • 日本橋箱崎町

    町名の由来は明らかではなく、筑紫箱崎(福岡県)の名をとったものとも、昔、箱池(あるいは箱崎池)があったためともいわれています。もともとこの地は蛎殻町の東南に築かれた島地で、すべてが武家地でした。

  • 日本橋小網町

    町名の由来は、小網神社の名にちなむとされていますが、明らかではありません。小網町は近世以前から漁村として発達したところで、江戸中期以降は船積問屋が多くなり、明治以降も回漕会社の多いことで知られていました。

  • 日本橋馬喰町

    かつてこの地域には、馬の売買を行る博労が住んでいたため博労町と呼ばれていましたが、正保年間(1644~1648)のころ、馬喰町と改められました。江戸時代は旅籠屋の町として知られ、馬喰町だけで42の旅人宿がありました。

  • 日本橋横山町

    横山の町名は、天正18年(1590)に徳川家康が入城する前から存在した地名で、その名のおこりは横山という人物が町をつくったためといわれています。馬喰町とともに東京商業の中枢をなす小間物繊維問屋街です。

  • 東日本橋

    昭和46年(1971)の住居表示実施により生まれた町名です。米沢町3丁目、若松町、薬研堀町、矢ノ倉町、村松町を東日本橋1丁目とし、両国を同2丁目とし、橘町の全部を同3丁目としました。この地域は、両国広小路を中心に古くからの問屋街、商店街が一体となったところで、江戸のなかでも早くから開けた町々です。

  • 日本橋久松町

    天和3年(1683)に村松町内にあった本多豊前守屋敷跡を一つの町として久松町と呼びました。久松という町名の由来は明らかではありません。明治以来の久松小学校、久松警察署があります。

  • 日本橋浜町

    昔は海浜の面影を残していたため、浜町の俗称が生じたといわれ、それが町名となったようです。広大な面積を占めている浜町公園があり、区民の散策や憩いの場所となっています。

  • 日本橋中洲

    町名の由来は明らかではありませんが、水路を隔てて大川(隅田川)へ築き出した市街地で、荻が群生する洲だったことから、この名が生まれたようです。明治期、ここに小劇場「真砂座」が開場し、劇場を中心に小花柳街を形成していました。

観光地や人気をピックアップ! Featuring Tourist Attractions and Popular Spots!

  • 屋号:蔦屋重三郎「耕書堂」跡

    戯作者や絵師の作品を出版した江戸一流の版元

  • 屋号:石町時の鐘

    江戸市中の人々に時刻を報せた鐘の音(都指定文化財)

  • 屋号:両国広小路記念碑

    ★ 明暦の大火を教訓に設けられた火除地

  • 屋号:人形町通りと甘酒横丁

    江戸情緒とモダンが融合する街、人形町で心弾む発見を。

  • 屋号:水天宮

    安産・水難・水商売にご利益のある神様

  • 屋号:末廣神社

    元吉原の時代から篤い信仰を集めてきた神社

  • 屋号:椙森神社

    富くじ興業を記念した石碑が境内にある神社(区民有形文化財)

  • 屋号:新大橋・大震災避難記念碑

    震災時に多くに人命を救った「人助け橋」(区民有形文化財)

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