Ningyocho Area人形町エリア
多彩な顔を持つ人形町界隈
町によって様々な歴史が垣間見られるエリア
このエリアの町々はそれぞれの顔を持っています。中村座・市村座のあった庶民の町「人形町」には多くの人形師が住み、重要な街道筋であった「馬喰町・横山町」付近には問屋が発展しました。「浜町・久松町」といえば粋なお姐さんが行き交った町、明治座のある町として知られていますが、この界隈は武家屋敷が多いところでした。荷物を馬の背に積んで運ぶ伝馬役を務める人たちが多く住んでいた「小伝馬町・大伝馬町」。「東日本橋」は両国橋・柳橋などの一帯にあった薬研堀町・村松町・矢ノ倉町・橘町などの町名を統合した町で、地元の人は今でも古い町名で呼び合っています。「小舟町・堀留町・富沢町」一帯は、商人たちが物資を運ぶ堀留川で富をなし、昔は海辺であった「蛎殻町」は大名屋敷と旗本屋敷が建ち並ぶ地域でした。「小網町」には200年以上も続くお店が今も営業していますし、かつて大川の花火で賑わいをみせた「中洲」や武家地であった「箱崎町」は、商工業の町として発展し明治15年(1882)に開業された日本金融機関の総元締め「日本銀行創業の地」として知られています。