Chuo Ward First Story Map中央区はじめて物語マップ
東京都中央区は江戸文化の発祥の地。
また明治における西洋文化の発祥の地でもあり、常に時代の先端をいくまちとして発展してきました。
いまでもまちを歩けばいたるところにその跡を見ることができます。
こちらのページでは、歴史や発祥秘話などを「商いものづくり編」「ぐるめ編」「文化・文人・学舎編」の
3編に分けご紹介していますのでぜひご覧ください。
商いものづくり編
1日本最初の国産マッチ独占販売店
-
現在
丸善
-
発祥
明治9(1876)年
-
住所
日本橋2-3-10
清水誠によって製造がはじめられた新燧(しんすい)社製品を独占販売しました。
新燧とは「新しい火打石」という意味です。-
2萌黄蚊帳の発祥の店
-
現在
日本橋西川
-
発祥
元和元(1615)年
-
住所
日本橋1-5-3
二代目西川甚五郎が考案。蚊帳の生地を萌黄色に染め、紅布の縁をつけたデザイン
の『近江蚊帳』を販売し、人気を博しました。-
3日本で最初のワイシャツ店
-
現在
大和屋シャツ店
-
発祥
明治9(1876)年
-
住所
銀座6-7-8
横浜関内の弁天通りに日本で最初のワイシャツ店を開業しました。
最初のうちは、港にあふれる外国人相手に商売をしていました。
横浜大空襲で焼け、昭和28(1953)年に銀座で再興しました。-
4日本初の煉歯磨を発売
-
現在
資生堂
-
発祥
明治21(1888)年
-
住所
銀座7-5-5
日本初の煉歯磨「福原衛生歯磨石鹸」を発売。歯磨石鹸は歯磨を固形石鹸状に煉り固めたもので、湿らせた歯ブラシで表面を擦り取って使いました。それまで日本では粉歯磨しかありませんでした。
-
5靴業発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治3(1870)年
-
住所
入船3-2-10
居留地に隣接する入船町に、日本で初めて靴の工場ができ国内で靴の製造が始まりました。西村勝三が伊勢勝造靴場を創建しました。
-
6富士銀行(現みずほ銀行)創業の地
-
現在
記念碑
-
発祥
発 明治13(1880)年
-
住所
日本橋小舟町8-1
旧財閥の安田銀行の本店が最初に置かれた場所です。GHQの財閥解体による商号変更により、富士銀行が誕生しました。
-
7日本で最初に営業を開始した地下鉄
-
現在
現存
-
発祥
発 昭和2(1927)年
-
住所
銀座線
昭和2年12月30日浅草~上野間(2.2km)で開業しました。新橋までの延長は昭和9年となりました。
-
8商品券発祥の店
-
現在
にんべん「日本橋本店」
-
発祥
天保2(1831)年
-
住所
日本橋室町2-2-1COREDO室町1・1階
六代目髙津伊兵衛が、いつでも鰹節と引き換えられる「商品券」を売り出しました。
-
9人力車発祥の地
-
現在
復活
-
発祥
明治3(1870)年
-
住所
日本橋のたもと
和泉要助らによって日本で初めての人力車が誕生。
ロイヤルパークホテル前から利用することができます。-
10ソニー発祥の地
-
現在
COREDO日本橋
-
発祥
昭和21(1946)年
-
住所
日本橋1-4-1
井深大、盛田昭夫らが日本橋の白木屋三階に東京通信工業を設立。これがソニーの前身となります。初めは真空管電圧計などを製作していました。
-
11株式会社組織第一号
-
現在
丸善
-
発祥
明治2(1869)年
-
住所
日本橋2-3-10
創業当初から、世襲が基本だった当時の商習慣をとらず、株主と社員からなる組織で運営するなど、事実上日本初の株式会社として知られます。
-
12東京株式取引所(現東京証券取引所)
-
現在
東京証券取引所
-
発祥
明治11(1878)年
-
住所
日本橋兜町2-1
日本初の公的な証券取引機関として、売買立ち会いを開始しました。後に日本証券取引所となり、同取引所の本所となりました。
昭和22(1947)年日本証券取引所が解散、昭和24(1949)年5月東京証券取引所として取引を開始しましたが、コンピュータ化の進展から平成12(2000)年5月旧立会場跡地を「東証Arrows」としてリオープンしました。-
13日本初の銀行 第一国立銀行発祥の地
-
現在
現みずほ銀行・記念碑
-
発祥
明治6(1873)年
-
住所
日本橋兜町4-3
明治6年、国立銀行条例に基づく日本初の国立銀行が創設された地です。初代頭取は渋沢栄一でした。
-
14東京商工会議所発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治11(1878)年
-
住所
銀座6-17
日本で最初の商工会議所である東京商法会議所が明治11年3月12日この地に創立しました。
-
15検査業務開始の地
-
現在
記念碑
-
発祥
発 明治9(1876)年
-
住所
銀座8-20-26
工部省電信寮の硝子試験所があった地。同所発足の際、電信用の硝子を電気試験したのが、物品購入検査という作業のはじまりです。
-
16歩行者天国発祥の地
-
現在
土曜日曜と祝日実施
-
発祥
昭和45(1970)年
-
住所
中央通り(銀座1~8丁目)
交通渋滞と大気汚染に対する強い反省の気持ちから始まり、新宿、池袋、浅草でも実施されました。
-
17東京税関発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
慶応3(1867)年
-
住所
明石町14-19先
江戸築地鉄砲洲(現明石町周辺)の一帯を外国人居留地と定め、この地に税関業務等を行う運上所を設置しました。
-
18日本銀行創業の地
-
現在
移転・記念碑
-
発祥
明治15(1882)年
-
住所
日本橋箱崎町19
明治29年日本橋本石町の現在地に移転しました。
-
19日本初の民営洋式造船所 石川島造船所跡地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治9(1876)年
-
住所
佃2-1一帯
ペリー艦隊が来港した嘉永6(1853)年、幕命を受けた水戸藩がこの地に石川島造船所を創設し、明治維新後の明治9(1876)年に、平野富二により民営洋式造船所として再スタートしたといわれています。
-
20デパート発祥の地
-
現在
日本橋三越本店
-
発祥
明治37(1904)年
-
住所
日本橋室町1-4-1
日本最初のデパート、三越呉服店(現日本橋三越本店)が誕生しました。
-
21日本で最初の果物専門店
-
現在
千疋屋総本店
-
発祥
明治10(1877)年頃
-
住所
日本橋室町2-1-2日本橋三井タワー内
三代目となる大島代次郎が、国産果物の品質の改良、外国産の果物、種の輸入に力を注ぎ、果物専門店を創立しました。
-
22天丼てんや一号店
-
現在
天丼てんや八重洲店
-
発祥
平成元(1989)年
-
住所
八重洲2-1八重洲地下街南1号
100店構想を見据え、その1号店にふさわしい場所として八重洲地下街でスタートしました。
当時、天丼が500円で食べられる店は珍しく、開業初日から長蛇の列となりました。-
23リーガルシューズ一号店
-
現在
リーガルシューズ八重洲店
-
発祥
昭和45(1970)年
-
住所
八重洲1-9-9
リーガルコーポレーションは明治35年に機械靴の製造・販売の会社として鎗屋町(現銀座)に設立されました。昭和36年にリーガル・シューに係る技術導入契約を締結し、その9年後に八重洲で第一号店をオープンしました。
-
24「鞄」の文字発案
-
現在
銀座タニザワ
-
発祥
明治7(1874)年
-
住所
銀座1-7-6
谷澤禎三が考案したといわれている「鞄(かばん)」の文字を看板に掲げたところ、明治22年に店の前を通られた明治天皇の目にとまり、この後「鞄」の字が辞書「言海」に取り上げられ、広まったと伝えられています。
-
25百貨店初のカフェテリア式大食堂
-
現在
松屋銀座
-
発祥
大正14(1925)年
-
住所
銀座3-6-1
銀座店の開店に合わせ、下足預かりを廃止。また、百貨店初のカフェテリア式食堂が話題となりました。
-
26西洋式調剤薬局発祥の地
-
現在
資生堂
-
発祥
明治5(1872)年
-
住所
銀座7-5-5
漢方薬が主流であった当時、はじめて西洋式調剤薬局が開業しました。
-
27現存する最古のビアホール
-
現在
銀座ライオン
-
発祥
明治32(1899)年
-
住所
銀座7-9-20
明治32年、「惠比壽ビヤホール」が、ヱビスビールのプロモーション店舗として銀座の新橋際にオープンし、これが我が国のビヤホールのはじまりです。
昭和9年に当時の建築技術を結集し、現在の地に創建されました。-
28マクドナルド日本一号店
-
現在
マクドナルド銀座店
-
発祥
昭和46(1971)年
-
住所
銀座4-6-16
銀座三越の1階に日本第1号店を開店。当時日本人にはなじみのなかったハンバーガーが手軽に食べられると、行列のできる大人気店になりました。
現在、銀座店は閉鎖しています。-
29日本で最初のステッキ専門店
-
現在
銀座タカゲン
-
発祥
明治15(1882)年
-
住所
銀座6-9-7
髙橋源蔵は、英国人が洋杖を手に闊歩する姿を初めて目の当たりにし、洋杖に惚れ込んだ。
元来、刀剣商であったが、それを機にステッキと洋傘の専門店を創業し、ステッキの発信源の店となりました。-
30初の常設エスカレーター 自動扉エレベーター
-
現在
日本橋三越本店
-
発祥
大正3(1914)年
-
住所
日本橋室町1-4-1
新館の一部が建築された時に、設置されました。
最初のエスカレータは幅2尺、床は畳敷き、階段部は木製でした。-
31初の企業PR誌発行
-
現在
丸善
-
発祥
明治30(1897)年
-
住所
日本橋2-3-10
「學の燈(まなびのともしび)」創刊、後に「學鐙(がくとう)」と改称。明治34年からは内田魯庵が編集長となりました。
(平成30年で第115巻になります。平成24年以降年4回の発行となります。)-
32百貨店ではじめての屋上パーキング
-
現在
日本橋高島屋
-
発祥
昭和38(1963)年
-
住所
日本橋2-4-1
百貨店ではじめて屋上パーキングを設置しました。
※2016年2月をもって、閉鎖されました。-
33最初の公衆電話ボックス
-
発祥
明治33(1900)年
-
住所
銀座1丁目交番付近
扉には「自働電話」と書かれていました。
形は六角柱で屋根の下がくびれた灯台のような姿でした。-
34銀座発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
慶長17(1612)年
-
住所
銀座2-7先
銀座という地名は江戸幕府が銀貨鋳造所を駿府城下からこの地に移したことに由来しています。
-
文化・文人・学舎編
1江戸歌舞伎発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
寛永元(1624)年
-
住所
京橋3-4緑地帯内
猿若座(後の中村座)の猿若勘三郎が中橋南地(日本橋と京橋の中間)で櫓をあげたのがはじまりです。
-
2五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の起点
-
現在
日本国道路元標
-
発祥
慶長8(1603)年
-
住所
日本橋
五街道の起点として知られる日本橋は家康の命により江戸城下で初めて架けられたとされる木橋で里程の原点と定められました。
明治5(1872)年、改めて全国の道路の起点と定められました。
現在のルネサンス様式二連アーチ、花崗岩造りの日本橋は明治44(1911)年に建造されたものです。
-
3日本橋魚市場発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
江戸時代初期
-
住所
日本橋室町1-8乙姫の広場
明治・大正時代まで300年余り続きましたが、関東大震災により魚市場は築地に移転
しました。-
4郵便発祥の地
-
現在
現日本橋郵便局・記念碑
-
発祥
明治4(1871)年
-
住所
日本橋1-18-1
駅逓司(当時の通信、郵便をつかさどる国の機関)と東京郵便役所(現東京中央郵便局)が置かれたところです。
-
5電燈供給発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治20(1887)年
-
住所
日本橋茅場町1-3-10
東京電燈会社がこの地にわが国初の発電所を建設し、付近の日本郵船会社、今村銀行、東京郵便局等に電燈の供給を開始しました。
-
6日本で最初のファッションショウ
-
現在
日本橋三越本店(現三越劇場
-
発祥
昭和2(1927)年
-
住所
日本橋室町1-4-1
着物図案の募集で選ばれた着物の発表の場を「ファッションショウ」として打ち出したのが始まり。
当時は女優の水谷八重子さんらがモデルとして登場した。-
7日本最初の電気灯柱
-
現在
記念碑
-
発祥
明治15(1882)年
-
住所
銀座2-6-12
宣伝用の2,000燭光(2.013カンテラ)のアーク灯が日本で初めてこの地に点灯されました。
当時は、ガス灯やランプが主流でしたから、その明るさに人々はき、毎晩多くの人達が集まったそうです。-
8金春芸者発祥の地金 春屋敷跡地
-
現在
説明板
-
発祥
安政4(1857)年
-
住所
説明板 銀座7銀座通り歩道
金春家という幕府公認の能役者が屋敷を構えていたのが銀座8丁目辺り。屋敷の移転後の跡地に集まった女性が芸者「金春芸者」のはじまりといわれています。(銀座8-7金春通り)
-
9救世軍渡来の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治28(1895)年
-
住所
新富2-4-7平成通り沿い
英国より来日したライト大佐一行はこの地に日本最初の本営を設け救世軍活動を開始しました。
-
10指紋研究発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治7(1874)年
-
住所
明石町8先(聖路加ガーデン付近)
宣教師で医師でもあったイギリス人ヘンリー・フォールズは、日本にある拇印の習慣に興味を持ち、又発見された古代人の指紋をヒントに科学的な指紋研究を行いました。
-
11電信創業の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治2(1869)年
-
住所
明石町13-10先
横浜裁判所と東京築地運上所内「電信機役所」で日本で最初の電気通信が行われました。
-
12活字発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治6(1873)年
-
住所
築地1-12
幕末に日本語の活字を開発した本木昌造の門人平野富二が、東京築地活版製造所
を興し活字のほか印刷機械等も製作販売しました。-
13築地1-12
-
現在
記念碑
-
発祥
明治4(1871)年
-
住所
築地5-3-1
明治4(1871)年、船舶が安全に航海するため海図の整備が急務であると考え、兵部省海軍部水路局を現在の東京都中央区築地に創設し、外国人に頼らず独力で海洋調査を行って日本国として初めての海図を作製しました。
これらの業務は海上保安庁海洋情報部に引き継がれ、現在も続けられています。
平成23(2011)年、海洋情報部は移転しましたが、長い歴史を刻んだ築地の地を発祥の地として後世に伝えています。-
14講談発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
元禄末年(1700)頃
-
住所
東日本橋2-6-8
武士が町の辻に立ち、源平合戦などの軍談を語った「辻講釈」が講談のはじまりです。
-
15世界初 運河を渡る動く歩道
-
現在
トリトンブリッジ
-
発祥
平成13(2001)年3月
-
住所
勝どき2丁目から晴海1丁目
晴海アイランドトリトンスクエアの完成に合わせて朝潮運河に設置。全長94メートル
-
16勝どき2丁目から晴海1丁目
-
現在
中央区立阪本小学校
-
発祥
明治6(1873)年
-
住所
日本橋兜町15-18
明治6年5月「第一大学区 第一中学区 第一番官立小学阪本学校」として開校しました。
-
17専修大学発祥の地(日本初の私立法律経済学校)
-
現在
記念碑
-
発祥
明治13(1880)年
-
住所
銀座3-14-13
日本最初の私立の法律経済学校として、この地に開校したのが専修大学のはじまりです。
-
18東京慈恵会医科大学発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治14(1881)年
-
住所
銀座4-4松屋通り沿い
創立者高木兼寛がこの地に「成医会講習所」を開設しました。
これが東京慈恵会医科大学で、現在も存続する私立の医学校の中で最古です。-
19商法講習所(一橋大学)発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治8(1875)年
-
住所
銀座6-10銀座通り沿い
一橋大学は、森有礼が銀座に「商法講習所」を開設したのが出発点です。
-
20雙葉学園発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治8(1875)年
-
住所
明石町(佃大橋西交差点付近)
横浜で布教と教育慈善活動を行っていたサンモール修道会の宣教女がこの地に「築地語学校」を開校したのが、雙葉学園のはじまりです。
-
21女子聖学院発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治38(1905)年
-
住所
明石町6-24
明治38(1905)年宣教師バーサ・F・クローゾンにより、女子聖学院神学部が築地A14番に設立されました。
-
22青山学院記念の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治7(1874)年
-
住所
明石町6先
青山学院は、米国メソジスト監督教会の宣教師により創設された3つの学校を源流としています。
ひとつは麻布で明治7(1874)年開校された「女子小学校」後に「救世学校」と改称、明治10(1877)年明石町に移転「海岸女学校」と改称されこの地で大きく発展しました。
また、明治11(1878)年「耕教学舎」が築地に、明治12年(1879)「美曾神学校」が横浜に開校され、後に合同、改称後青山に移り「青山学院」になります。
海岸女学校も明治21(1888)年以降、青山へ順次移り合同します。-
23立教学院発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治7(1874)年
-
住所
明石町10(聖路加国際大学構内)
米国聖公会宣教師C.M.ウィリアムズ主教により築地の外国人居留地に開かれた「立教学校」という私塾が立教学院のルーツです。
-
24明治学院発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治10(1877)年
-
住所
明石町7-14
当時築地(明石町)にあった「ブラウン塾」等3つの神学塾が母体となる「東京一致神学校」、「ヘボン塾」の後身「一致英和学校」、「英和予備校」が合同して「明治学院」が発足しました。
-
25女子学院発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治3(1870)年
-
住所
明石町10(聖路加国際大学構内)
ジュリア・カロゾルスが築地居留地に開設した「A6番女学校」を基に、女子学院が発足しました。
-
26慶応義塾発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
慶応4(1868)年
-
住所
明石町11先(聖路加国際病院付近)
福沢諭吉は中津藩の命により安政5(1858)年築地鉄砲洲に蘭学塾を開きましたが、外遊により英学の振興が必要と考え、「慶応義塾」と称する私塾を開設しました。
-
27蘭学事始の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明和8(1771)年
-
住所
明石町11先(聖路加国際病院付近)
豊前中津藩奥平家の中屋敷のあったところで、杉田玄白や藩医で蘭学者の前野良沢(17231803年)らがオランダ語の医書ターヘル・アナトミアを初めて翻訳しました。
-
28東京盲唖学校発祥の地・日本点字制定の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治13(1880)年
-
住所
築地4-15-2市場橋公園内
文化人や宣教師の支援で「楽善会訓盲院」として開校しました。
その後官立となって東京盲唖学校と改称された後、明治24年に文京区内に移転しました。
築地にあった頃に、教員や生徒たちによって日本語の点字が考案され、現在の日本の点字の原型となっています。-
29工学院大学発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治20(1887)年
-
住所
築地7-3-1
この地に創設された「工手学校」が工学院大学のはじまりです。
-
30船員教育発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治8(1875)年
-
住所
新川1-31先 永代橋橋詰
内務卿大久保利通が、明治政府の自立的な海運改革を進めるにあたり、三菱会社社長の岩崎弥太郎に命じて、商船学校を開設しました。
-
31中央商業学校発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治33(1900)年
-
住所
新川1-32 新川公園歩道
明治33(1900)年文学博士高楠順次郎により、この地に設立され、後に中央商業高等学校となりました。(中央学院大学中央高等学校江東区亀戸に移転。)
-
32順天堂発祥の地
-
現在
記念碑
-
発祥
天保9(1838)年
-
住所
東日本橋2-6-8
佐藤泰然がこの地、薬研堀で蘭学塾「和田塾」を開き、蘭学を教えると同時に西洋医学による治療を行ったのが順天堂のはじまりです。
-
33芥川龍之介生誕の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治25(1892)年
-
住所
明石町10(聖路加国際大学付近)
夏目漱石門下で、「鼻」「羅生門」「河童」「或阿呆の一生」などの数多くの文学作品を残した近代文豪の一人芥川龍之介(18921927年)は現在の明石町で生まれました。
-
34谷崎潤一郎生誕の地
-
現在
記念碑
-
発祥
明治19(1886)年
-
住所
日本橋人形町1-7-10
谷崎潤一郎(18861965年)は、現在の人形町で生まれました。
大正の中期までは、耽美と背徳の空想的な世界を華麗に描きましたが、後期から日本的な伝統美に傾倒して、王朝文学の息吹を現代に生かした新しい境地を開きました。-
35「社会を明るくする運動」発祥の地
-
現在
記念碑
-
住所
昭和24(1949)年
-
発祥
銀座4-1
銀座の商店街有志が、戦災孤児等の将来を危惧し犯罪や非行のない明るいまちを目指して行った「銀座フェアー」が「社会を明るくする運動」のはじまりといわれています。
-
36運動会発祥の地
-
現在
国立がんセンター界隈
-
住所
明治7(1874)年
-
発祥
築地5
明治7(1874)年、海軍兵学寮の教師として来日したお雇い外国人であるイギリス軍人アーチボルト・ルシアス・ダグラスが提案したアスレチックスポーツが最初といわれています。
短中距離走や二人三脚、走り高飛びや豚追い競争などの種目があったようです。-
37海軍発祥の地
-
現在
場内工事中のため、記念碑がどうなるか不明
-
住所
明治5(1872)年
-
発祥
築地5
維新後、幕府の軍艦操練所の地(旧中央卸売市場築地市場)は海軍省の管轄に置かれ、海軍省や海軍操練所(海軍兵学寮の前身)が設置されました。
-
38第1次 南極観測船出港、帰港
-
現在
晴海埠頭
-
住所
昭和31(1956)年
-
発祥
晴海5-7
第1次南極観測船「宗谷」が11月8日南極に向け出港、樺太犬タロ一、ジロー他13頭も乗船、昭和基地建設、昭和32(1957)年4月24日帰港しました。
以後毎次継続されています。
船も新しい「しらせ」で4代目となります。「宗谷」「ふじ」「しらせ」「新しらせ」-
ぐるめ編
1お子様ランチ発祥の店
-
現在
日本橋三越本店
-
発祥
昭和5(1930)年
-
住所
日本橋室町1-4-1
「御子様洋食」を考案したのは日本橋三越本店の食堂部主任であった安藤太郎といわれています。
-
2ポークカツレツ発祥の店
-
現在
銀座煉瓦亭
-
発祥
明治32(1899)年
-
住所
銀座3-5-16
「煉瓦亭」の初代木田元次郎が日本人の口に合うよう植物油を使った調理方法を考案。カツにキャベツをつけ合わせたのもお皿にご飯をのせたのもこの店が発祥といわれています。
このほかエビフライ、オムライスなどのメニューも煉瓦亭から誕生しました。-
3ハヤシライス発祥の店
-
現在
丸善
-
発祥
昭和29(1954)年
-
住所
日本橋2-3-10
丸善の創始者である早矢仕有的が友人達に振る舞った料理を人々がハヤシライスと呼んだのが最初と言われ、昭和29年に日本橋丸善がオープンした際に、メニューのひとつに加えられました。
-
4カツカレー発祥の店
-
現在
銀座スイス
-
発祥
昭和23(1948)年
-
住所
銀座3-5-16
昭和22年に宮内庁御用達の宝亭や首相官邸等の料理長だった岡田進之助によって創業した洋食店。
戦後まだ一般的でなかった西洋料理を広めました。翌年、巨人軍のスーパースターのリクエストによって『カツカレー』が誕生しました。-
5甘名納糖の発祥の店
-
現在
榮太樓總本鋪
-
発祥
文久年間(1861~1863)頃
-
住所
日本橋1-2-5
当時安価だった金時大角豆を糖蜜で煮詰め、新しい菓子をつくり出したのが三世細田安兵衛。
名前の由来は、当時浜名湖の名物だった“浜名納豆”になぞらえて「甘名納糖」に。世間ではそれがいつの間にか呼びやすい“あまなっとう”になったといわれています。-
6あんぱん発祥の店
-
現在
銀座木村家
-
発祥
明治7(1874)年
-
住所
銀座4-5-7
創業者木村安兵衛の息子英三郎の考案で米と麹で生地を発酵させた「酒種あんぱん」が誕生しました。
-
7ジャムパン発祥の店
-
現在
銀座木村家
-
発祥
明治33(1900)年
-
住所
銀座4-5-7
三代目儀四郎は、ビスケットの生地にジャムをはさんで焼く作業を見ているうちに、これをあんの代わりに酒種生地にしてみたらと思いつき、ジャムパンを完成させた。
-
8日本初のフルーツパーラー 発祥の店
-
現在
銀座千疋屋
-
発祥
明治27(1894)年
-
住所
銀座5-5-1
日本初のフルーツパーラーを開業しました。後の大正12(1923)年には日本初のフルーツポンチが誕生したといわれています。
-
9あんみつ発祥の店
-
現在
銀座若松
-
発祥
昭和5(1930)年
-
住所
銀座5-8-20
二代目森半次郎があんみつを考案しました。若松はあんみつ発祥のお店です。
-
10小豆餡入り鰻頭発祥の店
-
現在
塩瀬総本家
-
発祥
貞和5(1349)年頃
-
住所
明石町7-14
中国から来日した初代林浄因が奈良に居を構え、肉食の許されていない僧侶のために、日本ではじめて小豆餡入りの饅頭を作り提供したところ大評判となったものがはじまりです。
-
11煎茶がはじめて大ヒットした店
-
現在
山本山ふじヱ茶房
-
発祥
元文3(1738)年
-
住所
日本橋2-5-1日本橋髙島屋三井ビルディング1階
山城国宇治田原郷屋谷の住人永谷宗七郎が、青製の煎茶製造に成功。山本嘉兵衛その上品なるを認め、これに「天下一」の号を附して市販したところ、大人気となり、青製煎茶が知れわたりました。
-
12玉露考案の店
-
現在
山本山ふじヱ茶房
-
発祥
天保6(1835)年
-
住所
日本橋2-5-1日本橋髙島屋三井ビルディング1階
六代山本嘉兵衛徳翁が、宇治郷小倉の木下家において玉露茶を発明したといわれています。
-
13日本初のソーダ水を発売
-
現在
資生堂パーラー
-
発祥
明治35(1902)年
-
住所
銀座8-8-3
資生堂洋風調剤薬局内に日本で始めてのソーダ水や当時まだ珍しかったアイスクリームの製造と販売を行う「ソーダファウンテン」が開設され、これが後に「資生堂パーラー」に発展しました。
当時流行のモボ、モガや新橋の芸者に愛されました。
-
14味附海苔発祥の店
-
現在
山本海苔店
-
発祥
明治2(1869)年
-
住所
日本橋室町1-6-3
味附海苔をつくり出したのは二代目山本德治郎。
明治天皇が京都へ還幸の際の東京土産として考案されたといわれています。-
15天ざる・天もり発祥の店
-
現在
室町砂場
-
発祥
昭和20(1945)年頃
-
住所
日本橋室町4-1-13
三代目茂・亀次郎の兄弟
三代目茂・亀次郎の兄弟の頃、暑い夏でも“天ぷらそば”を食べ易くと、そばを冷たいセイロのざる・もりにしてつけ麺スタイルにした「天ざる」「天もり」を創案したといわれています。
-
16折詰料理専門店発祥の店
-
現在
日本橋弁松総本店
-
発祥
嘉永3(1850)年
-
住所
日本橋室町1-10-7
河岸に集う人たちを顧客としていた食事処の主人が、持帰り用の折詰弁当を考案したのがはじまりといわれています。
-
17うにの寿司発祥の店
-
現在
銀座久兵衛
-
発祥
昭和17(1942)年
-
住所
銀座8-7-6
陶芸家・北大路魯山人がひいきにした店。
うにを寿司にして、との注文で考案されたといわれています。
軍艦巻の発祥の店でもあります。-
18外食メニューで初めて唐揚げを出したお店
-
現在
三笠会館本店
-
発祥
昭和7(1932)年
-
住所
銀座5-5-17
支店の苦境を乗り切るアイデアとして生まれたのが鶏の唐揚げでした。お店に登場させたところ大盛況。
「銀座に来たら、三笠会館で鶏の唐揚げ」と言われるほど名物となりました。-
19末広手巻き発祥の店
-
現在
築地玉寿司
-
発祥
昭和46(1971)年
-
住所
築地1-9-4
3代目(現会長)が、当時若者の間で流行っていたソフトクリームをイメージし、片手に持って海苔がパリパリのうちに食べられるよう末広型にしたのが、はじまりと言われています。
-
20すき焼きの原型”軍鶏鍋”から 生まれた親子丼発祥の店
-
現在
玉ひで
-
発祥
明治24(1891)年(親子丼)
-
住所
日本橋人形町1-17-10
宝暦10(1760)年、創業当時から提供していた軍鶏鍋は現在のすき焼きの原型といわれています。
その後、鍋の残りの割り下に卵をとじる食べ方から、親子丼を創案しました。
さらに、親子丼を持ち帰るために改良した“鶏そぼろ”も発祥といわれています。-
21いなり寿司「 志乃多」発祥の店
-
現在
人形町志乃多寿司總本店
-
発祥
明治10(1877)年
-
住所
日本橋人形町2-10-10
初代店主がいなり寿司に独特の創意工夫をこらし、歌舞伎の人情話にちなんで“志乃多”と名づけて売り出したのがはじまりといわれています。
-
22佃煮発祥の地
-
現在
現存
-
発祥
江戸時代
-
住所
佃1丁目隅田川沿い
幕府の命により摂津国西成郡佃村から来た漁師により築かれた佃島で、保存食として作られたことが始まりとされています。
現在、佃には3軒の佃煮屋があり、歴史と伝統を伝えています。-
23レバーフライ発祥の店
-
現在
現存
-
発祥
昭和7(1932)年
-
住所
佃・月島付近
大恐慌で職をなくした職工さんが、当時食べる習慣のなかった豚等の内臓のうち、豚のレバーを油で揚げて屋台で売りだした肉フライが、レバーフライのはじまりです。
-
24もんじゃ焼きの町 月島
-
現在
現存
-
発祥
昭和30年代(1955)
-
住所
昭和30年代(1955)
下町の駄菓子屋で鉄板を置き、小麦粉をうすく溶いて焼いたものに醤油、蜜などをつけて食べたものがもんじゃのはじまりです。
月島は、駄菓子屋のもんじゃからもんじゃの専門店となって、多くのもんじゃ店が軒を並べる日本で唯一の町です。
また、おみやげ用もんじゃ焼セットの販売も月島がはじめてです。-