JUZABURO TSUTAYA蔦屋重三郎特集


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出典:東洲斎写楽 画『写楽名画揃』,好古堂,明36.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533724 (参照 2025-01-23)
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出典:東洲斎写楽 画『写楽名画揃』,好古堂,明36.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533724 (参照 2025-01-23)
中央区との直接的な関わりは、天明3年(1783)蔦重33歳。
江戸ナンバーワンの版元を目指し『耕書堂』の新店舗を日本橋の通油町(とおりあぶらちょう)に進出させます。
通油町は、当時、常盤橋門から浅草橋門を東西に結び、江戸の中心地である本町を走る「本町通り」に面してました。この本町通りは、日光や奥州方面に向かう日光街道とも重複しており、将軍が日光参詣の際に用いる「御成道(おなりみち)」でもありました。
交通の要衝であったため、人々の往来でにぎわい、木綿問屋をはじめ小間物問屋など多くの商店が軒を連ねる目抜き通りでした。中でも、通油町界隈は、有名版元が軒を連ねる江戸随一の出版業界の中心地であり、蔦重もここに進出を果たします。
本町通りがある現在の日本橋大伝馬町も、交通網が発達しています。東京メトロ日比谷線「小伝馬町」駅や都営新宿線「馬喰横山」駅、JR総武快速線「馬喰町」駅が通り、本町通りよりも少し北に日本橋を起点とした国道6号や14号が、また東には国道4号が通る場所です。
また歩いて10分弱の日本橋人形町は、明暦の大火まで「吉原」があった場所で、蔦重が生まれた「新吉原」に対して「元吉原」と呼んで区別されていました。
江戸時代の人形町エリアには、人形浄瑠璃の芝居小屋や、官許の芝居小屋である中村・市村両座があって繁栄し、蔦重も芝居を見て楽しんだことと思います。

(左)現在の中央区日本橋大伝馬町(おおでんまちょう)にある「耕書堂」跡の説明板
(右)旧日光街道本通りの碑 本町通りの先に、現在は東京スカイツリー®が見える


江戸時代後期の大伝馬町の様子
出典:広重『東都大伝馬街繁栄之図』,桜井. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307610 (参照 2025-01-24)
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」については、公式サイトをご覧ください。
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蔦屋重三郎「耕書堂」跡
戯作者や絵師の作品を出版した江戸一流の版元
蔦屋重三郎(1750-1797)は、江戸時代の出版人(版元)で、江戸文化を形成した立役者のひとり。新吉原の大門近くで書店を開業。天明3年(1783)にこの地に移転し、洒落本や浮世絵などを扱う地本問屋「耕書堂」を開いた。北斎や歌麿、写楽などの絵師の作品や、山東京伝や大田南畝などの戯作者の作品を出版し多くの実績を残した。
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旧日光街道本通り碑
大伝馬町通りにある旧日光街道本通りの碑
五街道の基点である日本橋から日光東照宮へ向かう日光街道は、江戸時代には表通りに木綿問屋など多くの店が立ち並ぶ商業地として錦絵にも描かれています。
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石町時の鐘(東京都指定文化財)
江戸市中の人々に時刻を報せた鐘の音
江戸城下の人々に時刻を報せていた初めての鐘。二代将軍徳川秀忠のと時代に本石町(現在の日本橋室町四丁目付近)に設置されたといわれる。現存する鐘は、高さ約170cm・口径約93cm。
※大河ドラマとのつながりは、ステラネットで詳しく紹介されています
ステラネット -
柳橋(区民有形文化財)
新吉原に行くには柳橋から舟で
神田川が隅田川に流れ込む河口部に架けられた鉄橋。元禄11年(1698)に町年寄が木造橋を架けたのがはじまりで、現在の橋は昭和4年(1929)に、永代橋をモデルも造られた。
※大河ドラマとのつながりは、ステラネットで詳しく紹介されています。
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蔦重が発掘した謎の絵師写楽の説明版
東洲斎写楽は八丁堀に住んでいた
写楽は、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛とする説が有力で、江戸時代にあった地蔵橋の袂に写楽の住居があったと言われています。亀島橋のたもとに説明版があります。
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十返舎一九墓 (区民史跡)
『東海道中膝栗毛』を書いた流行作家の墓と碑
江戸時代の大ベストセラー『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九の墓は、勝どきの真円山東陽院にあります。駿府の武家に生まれ、寛政6年(1794)には江戸に出て作家になりますが、下積み時代は蔦重のところで居候をしていたそうです。 -
薬研堀不動院
境内には講談発祥や順天堂発祥の記念碑がある
紀州根来寺が豊臣秀吉の軍勢に攻められた際、同寺の大印僧都が尊像を守るために東国に下り、隅田川のほとりに堂宇を建立したのがはじまりといわれています。江戸時代、毎月28日に開かれる縁日では多くの人で賑わいました。境内には、順天堂発祥の地と講談発祥記念之碑が建立されています。
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歌川広重住居跡
人気浮世絵師がおよそ10年間暮らした地
江戸時代末期の浮世絵師・歌川(安藤)広重は、詩情豊かな風景版画の連作で名を成し、また、花鳥画にも新境地を開きました。代表作には「東海道五十三次」「名所江戸百景」などがあります。嘉永2年(1849)から死去するまでの約10年間を大鋸町(現在の京橋)で過ごしたとされ、住居跡に説明版が設置されています。


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【人形町街歩きツアー】2025年放送の大河ドラマの舞台~蔦屋重三郎の街を歩こう~お客様専属!「観光おもてなしスタッフ」によるプライベートツアー|東京 中央区 歴史・観光街歩きツアー
お客様専属の中央区観光おもてなしスタッフがご案内するプライベート街歩きツアーです。他のグループと一緒になることはありませんので、ゆっくりお楽しみいただけます。

